利生寺由緒
金剛山利生寺は、寺伝によれば養老二年(718年)僧仁聞により
天台宗一末寺として当赤松村に開山された。 爾後、次第に哀微し、
南北朝末期、国東半島を支配していた田原氏の台頭に伴い曹洞宗九州
総本山泉福寺が天授元年(1375年)、無着禅師により横手村に開山
され、応永五年(1398年)六月、直末五院の一寺として無着禅師の
法孫璋山融珪禅師(前泉福寺四世住職)により再興された。
当寺より二キロほど上がると「金剛寺」という地名が今も字名と
して残っているが、禅宗寺院として改宗の折、現在地に移転し、寺号も
禅門碩言、発願利生(衆生利益)より「利生寺」と改め、山号に金剛
を残したものと思われる。爾来六百有余年、当山に寄せる檀信徒の
尊崇篤く、法灯連綿として今日に至り、現住で二十二世を数える。
本堂は享保九年(1724年)穩牛和尚再建の処、明治四十四年
(1911)一〇月十二日類焼に逢い、諸堂悉く消失したが
大正三年四月起工し、同十一年(1922年)落成する。上屋を
昭和五十七年(1982年)に大改修し、現在に至っている。
平成十三年五月 曹洞宗金剛山 利生寺執事
(一部省略しました。k−plan)